投稿予定日を随分と過ぎてしまったが、続きを書く事にする。
前回の最後に「面白いゲームの条件」というものを残したので、それを書いていこうと思う。
面白いゲームの条件
- プレイ人数は3〜6人程度
- 一回のプレイが20〜30分程度、長くても60分以内
- ルールの全容が理解できる
- 運の要素がある程度関与している
- ゲーム終盤まで逆転の可能性がある
■プレイ人数は3〜6人程度
これは幾つかの意味がある。
一つ、人を集める難易度
一つ、ゲームの複雑さ
一つ、ゲーム中の待ち時間
人を集める難易度
これは解り易いと思う。人数が多いと集めるのも大変。遊ぶ場所を確保するのも大変だ。
実際、楽しく遊ぶには「ルールを知っている人」を集める必要がある。
ルールを知らない人を含めて教えつつ遊ぶのも勿論良いが、その回では真剣な勝負は望めない。
場所は空間的広さの問題の他、「音」の問題もある。人数が増えれば総じて騒がしくなり、盛り上がれば大きな声を出す。
あまり知られていないかもしれないが、実はボードゲームは案外大きな音(声)を出すゲームなのだ。
区民会館の一室を借りていた時、危うく追い出されそうになった事もある。
一方、カラオケボックスでボードゲームをやった事もあるが結構快適だった。音を気にしなくて良いし、注文すれば飲み物がすぐに届く(笑)
プレイ人数が増えるとは即ち、対戦相手が増える事を意味する。
二人で一対一で競う状況と、三人が三つ巴で競う状況と、四人で競い合っている状況とでは、級数的に複雑さは増加する。
ゲームを、プレイヤーが理解できない程に複雑化する事の無いよう、人数は抑え目にする事が大事だ。
典型的なターン制ゲームでは人数の増加がそのまま待ち時間の長さに直結する。ただし、同時にプレイするようなものでは起こりにくい。故にこれはルール次第とも言える。
「プレイ時間が長い=面白いゲーム」と考える人は少ないと思う。(とはいえ昔、ファミコンで「他社のRPGはラスボスのHPが999だがウチの新作は9999だ、だから10倍面白い!」なんて言ってた人がいるくらいだから案外笑えない)
ボードゲームは一度に数回遊ぶのが、面白さを堪能する良い遊び方だと思う。
一回目:ルール覚えた
二回目:こんなはずじゃなかった!もう一回!
三回目:同上(笑)
よって一回のプレイ時間は短めなのがオススメだ。
一度のプレイ時間が長いとその間中ずっと思考し続ける事になり、ゲーム終了時にはとても疲れてしまう。もう一度プレイする事はさすがにできない。
しかもその一回で不本意な結果になると、不本意な気持ちを抱いたまま疲れてゲームを終える。満足・納得してゲームを終える事が出来ないのだ。
これにも幾つか理由がある。
一つ、プレイヤーがゲーム進行役を兼ねる
一つ、ゲーム展開を理解し、次の行動を選択できる
一つ、行動と勝敗の因果関係を理解し、結果を受け入れる
デジタルゲームとは違い、アナログゲームは勝手には進まない。プレイヤー達自身の手で進めてゆく必要がある。諸々の判定も、各種計算も、全て自分達で行う。
故に、理解できないルールは作ってはならない。
ルールが複雑過ぎるとゲーム展開が理解できず、自分が何をすればよいのか全然判断できない状態になる。
そうなるとプレイヤーは適当な判断をするようになってしまい、それはもうダイスを振って決めているのと大差はない。
プレイヤー同士の思考を競い合うべきアナログゲームにおいて、これは致命的欠陥とも言える。
ゲームのルールがキチンと理解できていれば、次に何が起こるか、ある程度は解る様になる。(無論全てではない)
そうすれば次にどんなプレイをするべきか、やはりある程度は判断できるようになる。(当然常に正しい判断が出来る訳ではない)
自分が勝つにはどのように行動するべきか、その思考を競い合う事が可能になる。
前述の続きになるが、自分がなぜ勝ったのか、或いは負けたのか。
ゲーム中のそれぞれの場面で、どのようなプレイをすれば違う結果にできたのか。
これも、ルールを理解する事で初めて理解できるし、理解できるからこそ、敗北を含めた結果を受け入れる事ができる。
なぜ負けたのか解らないのに、敗北のみを受け入れる事は難しい。
「完全情報ゲーム」というものがある。(より厳密には「二人零和有限確定完全情報ゲーム」)
ゲーム中の情報はプレイヤーの思考以外は全て公開され、運の要素が全く存在しないゲームの事だ。
完全情報ゲームではプレイヤーの思考”だけ”が勝敗を決める要素となる。故に、基本的に弱い人は強い人には絶対に勝てない。別の言い方をすれば、強い人は弱い人には絶対に負けない。勝敗がある程度固定化されてしまう。
「真剣勝負をするならば運の要素は邪魔なだけだ」という意見もある。正論だと思う。
ただし、ボードゲームをプレイする人々の多くはプロフェッショナルなどではなく、いわゆる一般人だ。
ゲームの勝敗に人生まで賭けているような人は非常に少ない。
勝ったり負けたりして、適度に楽しみたいのだ。
プレイヤーの思考だけではどうにもならない部分(運など)で、展開に変化を生じさせる必要がどうしても出てくる。
それは勝敗を固定化させない為の配慮とも言える。
弱い人でもチャンスが巡ってくるという希望を生み、強い人でも負けるというリスクが緊張感を生むのだ。
無論、運の要素が強すぎるといわゆる「運ゲー」になって、つまらなくなるから注意が必要だ。
勝利の可能性が潰えた時、プレイヤーはゲームをプレイする動機を失う。
ゲームの典型的な目的は「ゲームで勝利する事」だからだ。
絶対に勝利できないという状況は、可能な限り排除するべきだ。
ただし、その可能性が低い事は問題とはしない。
あくまでも可能性があること(ゼロじゃない事)が大切なのだ。
可能性が高過ぎると「逆転したもの勝ち=概ね運ゲーム」となるので良くない。
今回はここまで。なんだかすごく長くなってしまった。文体も硬い(笑)
次回からはゲームを作るときに考えている事などを書いていければ、と思う。
場所は空間的広さの問題の他、「音」の問題もある。人数が増えれば総じて騒がしくなり、盛り上がれば大きな声を出す。
あまり知られていないかもしれないが、実はボードゲームは案外大きな音(声)を出すゲームなのだ。
区民会館の一室を借りていた時、危うく追い出されそうになった事もある。
一方、カラオケボックスでボードゲームをやった事もあるが結構快適だった。音を気にしなくて良いし、注文すれば飲み物がすぐに届く(笑)
ゲームの複雑さ
プレイ人数が増えるとは即ち、対戦相手が増える事を意味する。
二人で一対一で競う状況と、三人が三つ巴で競う状況と、四人で競い合っている状況とでは、級数的に複雑さは増加する。
ゲームを、プレイヤーが理解できない程に複雑化する事の無いよう、人数は抑え目にする事が大事だ。
ゲーム中の待ち時間
典型的なターン制ゲームでは人数の増加がそのまま待ち時間の長さに直結する。ただし、同時にプレイするようなものでは起こりにくい。故にこれはルール次第とも言える。
■一回のプレイが20〜30分程度、長くても60分以内
「プレイ時間が長い=面白いゲーム」と考える人は少ないと思う。(とはいえ昔、ファミコンで「他社のRPGはラスボスのHPが999だがウチの新作は9999だ、だから10倍面白い!」なんて言ってた人がいるくらいだから案外笑えない)
ボードゲームは一度に数回遊ぶのが、面白さを堪能する良い遊び方だと思う。
一回目:ルール覚えた
二回目:こんなはずじゃなかった!もう一回!
三回目:同上(笑)
よって一回のプレイ時間は短めなのがオススメだ。
一度のプレイ時間が長いとその間中ずっと思考し続ける事になり、ゲーム終了時にはとても疲れてしまう。もう一度プレイする事はさすがにできない。
しかもその一回で不本意な結果になると、不本意な気持ちを抱いたまま疲れてゲームを終える。満足・納得してゲームを終える事が出来ないのだ。
■ルールの全容が理解できる
これにも幾つか理由がある。
一つ、プレイヤーがゲーム進行役を兼ねる
一つ、ゲーム展開を理解し、次の行動を選択できる
一つ、行動と勝敗の因果関係を理解し、結果を受け入れる
プレイヤーがゲーム進行役を兼ねる
デジタルゲームとは違い、アナログゲームは勝手には進まない。プレイヤー達自身の手で進めてゆく必要がある。諸々の判定も、各種計算も、全て自分達で行う。
故に、理解できないルールは作ってはならない。
ゲーム展開を理解し、次の行動を選択できる
ルールが複雑過ぎるとゲーム展開が理解できず、自分が何をすればよいのか全然判断できない状態になる。
そうなるとプレイヤーは適当な判断をするようになってしまい、それはもうダイスを振って決めているのと大差はない。
プレイヤー同士の思考を競い合うべきアナログゲームにおいて、これは致命的欠陥とも言える。
ゲームのルールがキチンと理解できていれば、次に何が起こるか、ある程度は解る様になる。(無論全てではない)
そうすれば次にどんなプレイをするべきか、やはりある程度は判断できるようになる。(当然常に正しい判断が出来る訳ではない)
自分が勝つにはどのように行動するべきか、その思考を競い合う事が可能になる。
行動と勝敗の因果関係を理解し、結果を受け入れる
前述の続きになるが、自分がなぜ勝ったのか、或いは負けたのか。
ゲーム中のそれぞれの場面で、どのようなプレイをすれば違う結果にできたのか。
これも、ルールを理解する事で初めて理解できるし、理解できるからこそ、敗北を含めた結果を受け入れる事ができる。
なぜ負けたのか解らないのに、敗北のみを受け入れる事は難しい。
■運の要素がある程度関与している
「完全情報ゲーム」というものがある。(より厳密には「二人零和有限確定完全情報ゲーム」)
ゲーム中の情報はプレイヤーの思考以外は全て公開され、運の要素が全く存在しないゲームの事だ。
完全情報ゲームではプレイヤーの思考”だけ”が勝敗を決める要素となる。故に、基本的に弱い人は強い人には絶対に勝てない。別の言い方をすれば、強い人は弱い人には絶対に負けない。勝敗がある程度固定化されてしまう。
「真剣勝負をするならば運の要素は邪魔なだけだ」という意見もある。正論だと思う。
ただし、ボードゲームをプレイする人々の多くはプロフェッショナルなどではなく、いわゆる一般人だ。
ゲームの勝敗に人生まで賭けているような人は非常に少ない。
勝ったり負けたりして、適度に楽しみたいのだ。
プレイヤーの思考だけではどうにもならない部分(運など)で、展開に変化を生じさせる必要がどうしても出てくる。
それは勝敗を固定化させない為の配慮とも言える。
弱い人でもチャンスが巡ってくるという希望を生み、強い人でも負けるというリスクが緊張感を生むのだ。
無論、運の要素が強すぎるといわゆる「運ゲー」になって、つまらなくなるから注意が必要だ。
■ゲーム終盤まで逆転の可能性がある
勝利の可能性が潰えた時、プレイヤーはゲームをプレイする動機を失う。
ゲームの典型的な目的は「ゲームで勝利する事」だからだ。
絶対に勝利できないという状況は、可能な限り排除するべきだ。
ただし、その可能性が低い事は問題とはしない。
あくまでも可能性があること(ゼロじゃない事)が大切なのだ。
可能性が高過ぎると「逆転したもの勝ち=概ね運ゲーム」となるので良くない。
■おわりに
今回はここまで。なんだかすごく長くなってしまった。文体も硬い(笑)
次回からはゲームを作るときに考えている事などを書いていければ、と思う。